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仕事のできるできないは自分が決めるべきことではない

皆さまこんにちは。6割主夫です。唐突ですが、よく自分のことを「俺は仕事ができる」と豪語している人を見かけるかと思いますが、あれってとても痛い人だと思いませんか?

確かに仕事ができる部分はあるかと思いますが、そんなのはその人自身が決めるのではなく、あくまで周りが判断するもの。それなのに、何を根拠に自分で自分のことを「俺はできる」と言っているのか、全く理解ができません。

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そんな思いは心の中に留めておくべき

まあ百歩譲って仕事ができると思っていても、それはあくまで自分の心の中に留めておくべきであって、それを自分の口から言うのはどうなんだろうといつも感じてしまいます。

ひどいのになると、「あいつができるんだから、俺もできる」「あいつが課長だったら、俺は部長だ」とか相手と比較して自分の方が偉い、賢いんだと言ってくる人もいます。

こんなことを飲み会の席で言われたら、もう堪ったものではありません。こうなるともう「自分大好き」というのを恥ずかしげもなく周りに堂々とアピールしているものです。

「俺に苦手な仕事はない」「何でもこなすことができる」と延々と聞いていると、本当に嫌になってしまい、次第には「バカなんじゃないの?」と逆にその人をバカにしてしまいます。

痛い自分に気づいていない

人の悪口を言うのはもちろんダメですが、かといって自分自身を大きく、偉そうに見せるのもこれまたダメです。堂々とするのと偉そうにするのとは全然意味合いが違います。

そもそも仕事ができるできない、その人の人間性がどうかというのは自分が決めるのではなく、他人が決めるものであります。仕事ができると自分で思い込んでいる人は自分自身を素晴らしく、過大に評価する傾向があります。

だけど他人は意外と見ているものです。他人には自分にない考え方を持っています。ということは自分が気づいていないことにも気づいているのです。そういう人の意見を冷静に受け入れればいいのですが、悲しいかなそういう人は自分基準で考えているので、なかなか人の言うことを受け入れようとはしないのです。

自分で自分のことを豪語していると、周りから痛い人に見られてしまうことに気づかない人間になってしまうのです。

何事も謙虚が一番


そうならないためには、謙虚な姿勢でいることが一番です。

もちろんおかしなことや間違っていることがあればむしろ堂々と指摘してやればいいのですが、そうではない限り偉そうにしたり、自分自身のことを立派な人間だと豪語する必要はどこにもないのです。

だけど世の中はそういう人が社会の中心として成り立っている傾向があります。そんな謙虚でない人間がひどくなるとセクハラやパワハラなどをしても、「自分は悪くない」と言ってしまうのです。

ワタクシの元上司がこのタイプでした。その人も常に前へ出よう出ようとする人で、何でも自分が中心にいないと嫌だというタイプでした。こういう人こそ誰か偉い人からガツンと注意されてほしいと思います。

最後に

ワタクシの友人も悲しいかな、こういう面では頭が痛い人です。そいつはいわゆるDQN校出身で今でこそ仕事をしていますが、仕事の話をするたびに、「俺は勉強はできへん。だけど仕事はできる」といつも豪語しています。

会社の仕事なんてあくまでその会社でしか通用しないことなのに、その能力だけで果たして転職市場で通用するなんてとてもじゃないけど思えません。そういう意味ではそいつも周りが見えていないのだと感じます。

注意すると逆ギレしますのであまり言わないようにしていますが、こういう人を見て「ああいう痛い人間にはならないでおこう」と肝に銘じることができますので、いわば反面教師的な存在という意味では非常にありがたく思っています。

その友人は世間の一般常識や漢字について全然知りません。なので、「仕事ができるかもしれないが、ある程度勉強も必要ですよ」といつも心の中で感じています。ワタクシは自分自身がそうならないように今後も注意していきたいと思います。

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